1999年7月。西麻布ヴィヴィアンより、始動。

初めにイメージだけがあった。
闇夜に舞う女たち。
広がりゆくアンビエントミュージック。

それが、クラブパーティになるなどとは思いもしなかった。わたしはただ自分の中にあるイメージを実現したくて、当時出会った全ての人にその話をしてまわった。
ひょんなことから、写真家で実業家のK氏に話をする機会にめぐまれた。氏は他の誰よりも、わたしの案に耳を傾けてくれ、自分が主催するクラブイベントで、そのイメージを実現化してみないか、とわたしに提案した。
当時、クラブなどにそう出入りをしていたわけではなかったのだが、自分の好きな世界と遠い世界でもないように思われて、わたしは氏と組んで、クラブイベントを開催するにいたった。
そして、数人の女の子たちに声を掛け、ありったけのボンデージコスチュームを集め、彼女たちに着てもらった。
当日は、K氏がプロフェッショナルのメイクアップアーティストを呼んで、彼女たちに本格的なメイクをほどこし、会場の片隅で写真撮影を行った。
わたしは当時アートスクールに通っていて、アクリルで絵を描いていたので、絵を会場に個展風に設置し、得意としていたタロットカード占いのテーブルをだした。

わたしはこのとき主催者ではなかったし、クラブ遊びに慣れていなかったので、このときのイベントが成功したのかどうかは、わからない。
覚えているのは、最初から最後まで忙しく、最初から最後まで楽しかった、ということだ。
人生で自分が主体となって何かをやったことがなかったので、自分が主体となって何かを動かす、という試みが今までにない充実感を作ったというのが結果であったなら、このパーティは成功したといえるだろう。



1999年のこの夏の試みはそのまま転がっていった。
理由もなくわたしには世紀末には世紀末らしいなにかをやらなければならない、という衝動がとても強くあった。
わたしが行動することのほとんどのことがそうなのだが、それをやるのは別にわたしでなくともかまわない、というのがある。他の誰かがそれをやるのであれば、自分は傍観者にまわる、というのである。
でも、1999年も終わりに近づいて来ているというのに、その気配がまるでなかった。
そう、わたしは世紀末らしい危険漂うデカダンなパーティに参加したかったのである。
何事も一期一会。
ないのなら、作ってしまえ!ということで、わたしは行動を開始した。

これは、わたしの人生の中でも不思議なことのひとつであるのだが、わたしが情熱を持って何かを行動し始めると、能力ある協力者が次々と集ってくる。ハプニングは多々あるのだが、この点で困ったことが一度もない。
そこら辺を歩いているただの女の子に過ぎなかった無名のわたしが、パーティを開催し、
人を集められることができたのは、自分の実力というよりも、この協力者たちのおかげだ。
写真家の K氏。
ディスコキングのタジマくん。
ホームページを製作、助言してくれたオオモリさん。
ミストレスのマリコ。
DJのヒデヨちゃん。
そして、ファンタシアに興味を持ち、
参加して下さったたくさんのアーティストの方々と場をクリエイトして下さった来場者の方々。
この場で感謝を捧げたいと思う。

御存知の方がどれだけいらっしゃるかわからないが、その後、わたしの創ったファンタシアはフェティッシュパーティとして発展し、成功をおさめた。

しばらく個人的な理由で、社会的な活動に参加せずにいたが、2015年、新たに活動を再開しようと思う。

私自身は常に新しいものが好きで、過去を引きずらないので、
前にあったようなファンタシアとして展開するとは思われない。
新しい視点、
新しい解釈、
新しい到達点によって、
ファンタシアを創造していこうと思う。

 

Leona
アンダーグラウンドカルチャーイベント「ファンタシア」オーガナイザー
20世紀末から21世紀初頭にかけて、トウキョウ・ロンドンのクラブシーンにて、モデル、パフォーマー、ドミネイトリクスとして活動。

 

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